第1章 キング翼攻撃(続き)
第10局
タラシュ対エッカート戦は機械的に指すとどういう危険性があるかの興味深い例である。黒はポーンを …f7-f5、続いて …g7-g6 と突くことを余儀なくされた。そして相手のビショップ切りによってキングを守っていたポーンを全部剥ぎ取られた。
フランス防御
白 タラシュ
黒 エッカート
ニュルンベルク、1889年
1.e4
この初手は二つの駒、即ちクイーンとキング翼ビショップのための出口を開けている。そしてそれだけに留まらない。キングのために1枡を空けキング翼ナイトにも1枡を空けている。確かにナイトはf3の地点に展開するのが最善だが、時にはe2の地点-たぶんg3を通ってf5に行くために-に跳ねるのが得策なことがある。手損が無関係ならばナイトの動きに自由度を増す方が良い。キングについては一息つける空間を作っても害はない。配慮が足りないために又は不注意で多くのキングが窒息死している。
次の事例は1893年ダンディーでの小さな大会の一局である。
白 マクグルーサー
黒 マッキャン
1.e4 c5 2.Nf3 Nc6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 e5 5.Nf5 Nge7 6.Nd6#
これが作為的だと思うならば次の標本はやはりミュンヘンでの小さな大会で指されたものである。
白 アーノルド
黒 ベーム
1.e4 c6 2.d4 d5 3.Nc3 dxe4 4.Nxe4 Nd7 5.Qe2 Ngf6 6.Nd6#
1…e6
この手は 1…e5 ほど攻撃的ではないが二つの駒の利きを通し白の攻撃の選択の幅を制限している有利さがある。白は時間と研究を傾注した得意の戦法を指すことができないし、fポーンを食わせて黒を危険なキング翼ギャンビットに引きずり込むこともできない。
フランス防御は多くの動的エネルギーを内在し、攻撃にはやる選手への効果的な武器となる。黒陣は見かけは萎縮しているが容易に攻め込まれない。
2.d4
この手は当然ともいうべき強い手である。白のこのポーン陣形についてスタントンは百年以上前に次のように言っていた。「ポーンが盤の中央部を占拠するのは有利であることが多い。その理由は相手の兵力の動きを大きく阻害するからである。4段目のeポーンとdポーンは好形であるが、その位置を保つのは容易でない。もしどちらかのポーンが前進しなければならなくなればこれらのポーンの威力は大きく減少する。」
2…d5
黒は白のeポーンを攻撃しながら自分のクイーンがもっと動けるようにした。
中原の支配を争うことは重要である。
3.Nd2
白がナイトをd2に展開したのには二つの理由がある。
白は 3.Nc3 の後起こるようなナイトの釘付けを避けたかった。
白はdポーンが 3…c5 で攻撃された場合に 4.c3 で応接して中原を支える準備をした。ポーン交換の際にはcポーンで取り返して中原にポーンを維持する。
確かにクイーン翼ビショップは利きを止められているがこの状態は一時的なものである。駒はお互いのじゃまにならないようにどくことができる。
3…Nf6
ここはこの自然な手が場違いであるまれな例の一つである。キング翼ナイトはf6の地点にいるものと教わってきたし、そのようにしてきた。しかしそれはその地点に留まれる場合の話である。すぐに立ち退かされる場合は駒を好所に展開しても何の役にも立たない。
黒のナイト跳ねは型にはまって自動的で機械的であり、従って思慮に欠けている。良い手というものは局面の要求するところに適合していなければならない。チェスは駒をあちこち動かす定められた手順を暗記するものではない。
黒の本手は 3…c5 で中原の支配を争うことである。この手はクイーンが別の斜筋を使えるようにしクイーン翼への進出を可能にすることにもなる。
4.e5
どうして白は4段目に2個のポーンを維持すべしというスタントンの助言を無視するのだろうか。白はポーンがe5に進めば弱くなるかもしれないということは知っている。しかしその得失を量りにかけたのである。e5のポーンはナイトを最良の地点から追い払い他の駒の自由な動きをじゃまする地点に行かせる。
明らかにこの手や他の手の価値は生じるかもしれない不利益に対して、利益を見積もることによって決まってくる。
4…Nfd7
ほぼこの一手である。4…Ne4 は 5.Bd3 と応じられて駒交換によるポーン得を狙われる。黒は次のような不本意な選択を迫られる。5…Nxd2 なら 6.Bxd2 で、展開した駒が白の2個に対し黒はゼロである。5…f5 なら 6.Qh5+ g6 で黒は多くのポーンが白枡に陣取り黒枡が構造的で恒久的な弱点でいっぱいになる。
5.Bd3
白はキング翼の駒を出し、そちらへのキャッスリングを容易にした。
5…c5
この手は大変良い手である。黒は萎縮した陣形を解放するのにぐずぐずしていてはいけない。このポーン突きは中原に打ってかかると共に、クイーンの別の出口も作った。
6.c3
この手は 6…cxd4 に対して 7.cxd4 を用意して、敵を窮屈にさせている連鎖ポーンを維持する。
6…Nc6
このナイトは先手で展開した。白のdポーンが二重に攻撃されている。
7.Ne2!
ここはナイトがf3でなくe2にいるのがふさわしい珍しい機会の一つである。確かにf3がナイトで占められるべきであり、白はそのように取り計らう。白の構想はクイーン翼ナイトをf3に持ってくることで、それによりクイーン翼ビショップも自由になる。
7…Qb6
黒は白のdポーンにさらに圧力をかけた。狙いは 8…cxd4 9.cxd4 Nxd4 10.Nxd4 Qxd4 でポーン得することである。
8.Nf3!
白はうまいナイトの移動でポーンを守りクイーン翼ビショップの利きのじゃまものをどけた。
鋭敏な読者なら著者が非難した 3…Nf6 を含めてここまでの黒の手順を1938年のAVRO(訳注 オランダの放送会社)大会であのカパブランカがアリョーヒン戦で採用していることに気づいていることだろう。カパブランカは布局での劣勢の結果としていいように翻弄(ほんろう)されろくに動くこともできず盤上にほとんどの駒が残っている状態で投了した。そのような経緯は別にしても普通の選手が偉大なマスターでもめったに克服できない悪影響をもつ手を試すのは賢明でない。
8…Be7
これもありきたりの手だが消極的過ぎる。黒はともかくも 8…f6 又は 8…cxd4 9.cxd4 Bb4+ で、自分の駒を押し込めている連鎖ポーンの破壊に努めるべきであった。
後の方の手段はニムゾビッチも支持するだろう。彼は「連鎖ポーンに対する捌きはあせってはならない」と言っている。そして戦略上必要ならば連鎖の根元を攻撃することを推奨している。
9.O-O
キングはいかなる激しい行動をとるよりも前に安全地帯に移さなければならない。
9…O-O
黒は危険に気付かずにまだ機械的な手を指している。黒はこの手で 9…f6 で連鎖ポーンに挑む最後の機会を逃がした。
10.Nf4!
ポーンの配列を乱すいかなる可能性もきっぱりとなくした。10…f6 には 11.Nxe6 がある。一方 10…cxd4 11.cxd4 Nxd4 12.Nxd4 Qxd4 は 13.Bxh7+ でクイーンが素抜けるので問題にならない。
10…Nd8
黒は白の目障りなeポーンを盤上からなくすまで自分の駒が無力のままであることをようやく認識した。そこで黒は自分のeポーンを守って 11…f6 で白ポーンの態勢を破壊できるようにした。
11.Qc2
この手は明らかに黒のhポーンを狙っている。しかしその奥深い目的はキングの近くのポーンの一つを前進させることである。
キングの回りのどのポーンでも前進すれば防御陣がゆるみ、つけ込まれる恒久的な弱点が生じる。それに前進したポーン自体も攻撃の直接的な標的にされ易い。
11…f5
何か別策があるだろうか。黒が 11…h6 又は 11…g6 と指せば後で …f6 と指せなくなる。もしそう指せばg6の地点を白駒の侵略にもろくしてしまうか、捨て駒を集中されてキング翼を壊滅させられてしまう。
12.exf6e.p.
こう指すと黒に対する締め付けが緩むが攻撃の筋が通る。開いた筋は展開にまさり駒の働きの良い側に有利に作用する。
12…Nxf6
この手で黒はナイトをまた働きのある地点に戻し、再び狙われたhポーンを守った。
13.Ng5
なおもhポーンを狙っている。今度は 14.Bxh7+ Kh8(14…Nxh7 は 15.Qxh7#)15.Ng6# の狙いも加わっている。
13…g6
13…h6 はポーンは助かるが詰まされてしまうので本譜の手は仕方がない。
gポーン突きで白の攻撃の矛先(ほこさき)となる目標が視界に入った。白は黒の防御陣全体をぶち壊すような決定的な強打を心に描くことができる。
14.Bxg6!
この捨て駒は取らなければならない。さもないと黒はポーン損のまま見返りがなく粉砕された陣形だけが残る。もし 14…h6 ならば 15.Bh7+ Kg7(15…Kf7 なら 16.Qg6#)16.Qg6+ Kh8 17.Qxh6 でナイトによる詰みの狙いと開きチェックの狙いが受からない。
14…hxg6
キングの回りにあった3個のポーンのうち1個だけが孤立して残った。その1個もこの世に長いことはない。
15.Qxg6+
この劇的な登場で2個のナイトに伴われたクイーンは急速に降伏を促す。
15…Kh8
他に手はない。
16.Qh6+
ナイトのためにg6の地点を空けた。
16…Kg8
ナイトを引いてチェックを受けるのは1手詰みになる。
17.Ng6
18.Qh8 と 18.Nxe7 の両様の詰みの狙いが受からない。