第24局

 カパブランカ対マティソン戦では白は駒の展開以外何もしなかった。しかし小気味よい手筋を捻り出すにはそれで十分だった。その妙技を印象的にしているのはすべての手筋が白の有利に作用したことで、一つの狙い(窒息詰め)でさえ黒に投了を促すことになった。カパブランカの珠玉の一局である。

クイーンポーン試合(ニムゾインディアン防御)
白 カパブランカ
黒 マティソン
カールスバート、1929年

1.d4

 人気のあるキングポーン布局の基本的な発想はあらゆる機会をとらえて素早く攻撃を仕掛けることである。さまざまなギャンビットが指せるし、攻撃の筋を開けるために駒を犠牲にしてもよいし、大胆に手筋を放ってもよいし、不確かな手に身を任せてもよい。要するに詰みを目指すためなら何でもありなのである。時にはこれらの戦術がうまくいくこともある。しかしギャンビット選手は攻撃の終わりで逆の立場に立たされることが非常によくある。大きく開けた局面は一方だけでなく他方にも危険なのである。

 クイーンポーン布局で目指す理想は展開そのものである。攻撃は「第一義」ではない。展開はわざとそのために指すものではないが、不思議なことに全ての駒が能率的に展開され最も働きの良い地点にできるだけ早く置かれれば驚くべき攻撃力が備わるらしい。手筋はひとりでに生まれてくる。盤上で最大に動け支配できる地点に駒を配置するだけで大きな活動エネルギーが吹き込まれるので何とかしてそれを解放しなければならないからなのだろうか。そしてこのことを知ることによって攻撃の機が熟すまで大局観指法の達人たちは攻撃の本能を抑えるのだろうか。

 白がクイーンポーンを突いたのはできるだけ早くすべての駒を戦いに参加させる過程の始まりである。二つの駒が今や自由に参戦し、それらを解放したポーンも中央の舞台を占めた。

1…Nf6

 この展開の手の目的(駒を最適の地点につかせるという推奨される目的に加えて)は白が 2.e4 で強大になるのを防ぐことである。

2.c4

 この手は多くのことを行なっている。

 a)d5の地点に対する攻撃を開始した。

 b)c列を開けてその列を大駒が使えるようにした。

 c)クイーンの斜筋を通した。

 d)黒が 2…d5 で中原にポーンを据えるのを邪魔した。白は 3.cxd5 と応じて黒に駒で取り返させて中原にポーンを残させない。

2…e6

 キング翼ビショップの筋を開け積極的な防御を行なう意志を示した。

3.Nc3

 白の真意は明らかである。最初にクイーン翼ナイトを展開してeポーン突きを助ける意図である。

3…Bb4

 それに対して黒はナイトを釘付けにして迎え撃った。もし白が 4.e4 と来れば 4…Nxe4 と応じて取り返しを不可能にしている。

4.Qc2

 この手には二通りの目的がある。一つは 4…Bxc3+ に対して 5.Qxc3 と応じてポーンの形を乱さないようにすることと、もう一つは再び 5.e4 突きを狙うことである。

 序盤にはそれぞれの局面において「最善手」があるという考え方が広く行き渡っている。この通念はチェスのマスターはそのような最善手とそれに対する正しい応手を一つ一つ記憶しているというものである。そのような論法が見せかけであることは明らかである。何百万局もの試合が重複することなく指されてきている事実がその何よりの証拠である。

 盤上の局面を考えてみよう。本譜の手(4.Qc2)のほかに少なくとも七つの素晴らしい候補手がある。それぞれの手に熱心な推奨者がいる。それらの手とは-

 4.Qb3
 4.Bd2
 4.a3
 4.Bg5
 4.e3
 4.g3
 4.Nf3

 これらのうちどの手が最善手だろうか。誰も確かなことは言えない。しかし自分の棋風に合った局面に至る手が最善手であり、それが自分の指す手である。

4…c5

 黒も自分の棋風と性格に合った方法で防御(または反撃)を行なうことができる。黒の指した手はすぐに白の中原の支配を争っている。この手は他のことも行なっている。即ちクイーンにもっと動く余地を与え、c列を開け、ビショップに紐をつけている。

 しかし黒には同じくらい効果的な他の手もある。それらには何かしら推薦するところがあり、黒はそれらの応手から選ぶことができる。

 4…Nc6
 4…Bxc3+
 4…d6
 4…d5
 4…O-O
 4…b6

 人の好みはさまざまである。

5.dxc5

 この手は色々な理由で最強の手である。白がこのポーンを取るのにかけた手は黒が取り返すのに手をかけるので手損とはならない。5.dxc5 により生まれる素通しのd列は白に有利に働く。d1を占めることになるルークはその列にくまなく圧力をかける。そして特に出遅れdポーンを危険にさらす。

 他の手は積極性で及ばない。例えば 5.e3 なら黒は 5…d5 で捌くし、5.Nf3 なら 5…cxd4 6.Nxd4 Nc6 で白に防御の主導権がある。

5…Nc6

 黒はポーンを取り返す前に別の駒を展開させた。

6.Nf3

 このあたりになるとアマチュアは何か事を起こしたがる。そしてびっくりするような手を探し始める。この局面にはすごい手があるに違いない。すぐれたマスターは同じ状況で簡明な手を指すことで満足する。彼は戦場に駒を投入し続ければ勝つ手筋を探す必要はないことを知っている。そのような手筋は自然に局面から発生し至る所に生じる。

6…Bxc5

 この取り返しをこれ以上遅らせるのは危険かもしれない。

7.Bf4

 ナイトを釘付けにし黒に圧力をかける攻撃的な 7.Bg5 の方が普通である。しかし本譜の展開の手法も悪いことはありえない。このビショップはぬるく見えるが中央の重要な斜筋を監視し黒陣の弱点であるd6に圧力をかけている。

7…d5

 厳しく中原の所有に挑戦した。

8.e3

 白はまた落ち着いた手を指した。この手は一つのビショップを自由にしもう一つのビショップの立場を強化した。

8…Qa5

 黒は白にちょっとした弱点となる二重cポーンを生じさせる攻撃を始める機会をうかがった。そこで黒はナイトに対する行動を開始した。しかしタルタコーワは「そのような見えすいた駒捌きはカパブランカに対してはほとんど成功しない」と言っている。

 黒は代わりにクイーン翼ビショップを活動させるために何かをすべきである。例えば 8…a6 9.Be2 dxc4 10.Bxc4 b5 11.Be2 Qb6(すぐに 11…Bb7 は 12.Nxb5 がある)12.O-O Bb7 が考えられる。

9.Be2

 またもや穏やかな手である。この手は見かけよりも多くのエネルギーを秘めていて、次のような目的を果たしている。

 a)一つの駒を1段目から離して活動させている。

 b)ビショップをe2に展開して、f3に出て中原を攻撃できるようにしている。

 c)キング翼を空けて早くキャッスリングできるようにしている。

 d)キャッスリングの後1段目でルークが協力する用意をしている。

 もっと攻撃的に見える 9.Bd3 は何がいけないのだろうか。一つには 9…Nb4 で黒がナイトをビショップと交換できるからである。白は中原に影響力を持つ可能性のある大切な駒の働きを失うことになる。それではなぜ最初に 9.a3 と突いてd3へのビショップの展開を準備しないのだろうか。その答えは不必要なポーン突きに手をかけるのは序盤ではあまりにもったいないからである。駒の展開に必須のポーン突きだけを行なうべきである。9.a3 がクイーン翼の白枡を弱めるという事情もこのような戦略が不自然で無駄手であるというさらなる証明になっている。

9…Bb4

 白の古典的で簡明な展開方法と対照的に黒は相手に孤立ポーンを見舞うために序盤でビショップを3度も動かした。そのようなやり方は黒の展開が済んでいないことを考慮すれば時期尚早である。

 この手の代わりに妥当な手順は 9…O-O 10.O-O dxc4 11.Bxc4 Bd7 で、互角の局面である。

10.O-O

 これでキングが安全になりキング翼ルークが戦いの舞台である中央に近くなった。このルークはもちろん素通し列、それが全然ない場合はそうなりそうな列を占めようとする。

10…Bxc3

 このビショップは1回しか動いていないナイトと交換するために4回も動いた。1個の駒をそんなにあちこち動かすのはそもそもの戦略に誤りがあるに違いないことを示唆している。

11.bxc3

 c列の二重ポーンにもかかわらず白は次のような点で有利である。

 a)黒のナイトとビショップに対し白は働いている双ビショップを持っている。

 b)白の小駒は全て活動しているのに対し黒のビショップはまだ1段目にいる。

 c)白のルークは連結していて半素通しのb列とd列に陣取る用意ができている。

 d)白のキングは隅に安全にかくまわれているが黒のキングは野ざらしである。

 e)白のクイーンは理想的な地点に位置していて、盤端にいる黒のクイーンよりも中原に対してより影響力を持っている。

 f)中原におけるポーン交換(避けられそうにない)は攻撃の筋を開けることになる。それは展開に優る側、この場合は白に有利に働く。

 g)白は主導権を維持している。

11…O-O

 キングが安全地帯に逃れて黒の不利の一つが取り除かれた。

 代わりにビショップを展開するのは少々危ない。つまり 11…Bd7 12.Rab1(bポーンに当たっている)12…b6 13.Bd6(キング翼へのキャッスリングをできなくし 14.Rb5 Qa6 15.cxd5 exd5 16.Rxd5 でクイーンへの当たりを露出させることによってポーンを得する)という白の狙いがある。

12.Rab1

 これも普通の選手には意図が計りかねるさりげない手である。「何の役に立つのか」と彼は言うだろう。「きちんと守られているポーンを攻撃するためにわざわざルークを動かすとは。」

 確かにこのポーンは守られている。しかしそれはこのポーンを見捨てないためには動くことができないビショップによってである。いずれ黒は …b6 と突くことを強いられる。さもなくば1段目で3個の駒がお互いに邪魔をし合っているままである。しかし …b6 には問題がある。黒クイーンが孤立させられキング翼に戻ってキングを守るのを防がれる。それに加えてクイーン翼ナイトの立場がその支え(bポーン)をはずされて不安定になる。

 本譜の白の手は簡明で穏やかであるが、黒のクイーン翼に不快な圧力をかけ、普通の展開を困難にし、つけ込む余地のある恒久的な弱点を生じさせることができる。

12…Qa3

 黒はビショップを展開したいがそのためには …b6 と突かなければならない。しかし今すぐにそうするのはクイーンの退路を遮断して危険にさらすかもしれない。例えば 12…b6 13.Bd6 Rd8 14.Rb5 Qa6 15.cxd5 で白が少なくとも1ポーン得する。なぜなら 15…exd5 なら 16.Rxd5 でクイーンへの当たりが直射する。また 15…Rxd6 なら 16.dxc6 Rxc6 17.Rd5 でクイーンへの当たりと詰みの狙いでもっと悪い。

13.Rfd1!

 ルークが半素通しのd列を占めて白の展開は理想的な形で完了した。白の駒はどれも2手以上かけることなく最適な位置についている。白はすべての駒が働くまで攻撃は露ほどのそぶりも見せていない。

13…b6

 これはビショップを動かせるようにするためだが、このポーン突きでナイトの支えがなくなりその立場が弱まった。

 代わりに 13…Qe7 でbポーンを守ってもあまり役立たない。なぜなら次にビショプがクイーンのbポーンの守りを遮断せずにd7へ展開することができないからである。黒は 13…dxc4 で単純化を図ることもできない。それは 14.Bd6 で交換損になる。

14.cxd5

 いよいよ攻撃が始まった。最初の一撃は黒のポーン中原を打ち砕く。

14…Nxd5

 ポーンで取り返すのは破滅する。14…exd5 には 15.c4! が勝つ手段である。この手に対して 15…dxc4 なら 16.Bd6 でクイーンとルークの両当たりになるので黒は負けを避けられない。15…Be6 でポーンを守るのは 16.cxd5 Bxd5 17.Rxd5 Nxd5 18.Qxc6 で白がルークの代わりに2個の駒を獲得する。

15.Ng5!

 これこそマスターの一着である。露骨な 16.Qxh7# の詰み狙いは二つの真の目的を隠している。一つは黒にキング翼ポーンの一つを突かせる戦略的構想で、それにより黒の防御態勢が崩れる。もう一つは自分の白枡ビショップのためにf3の地点を空けることで、このビショップが対角斜筋を席巻することになる。

15…f5

 他には二つの手がある。

 ポーン突きを避ける 15…Nf6 は 16.Bd6 で白が交換得する。

 15…g6 は黒陣の黒枡が弱点だらけになる。

 そこで黒はfポーンを突いて詰みを避けた。しかしこの手はeポーンを弱めビショップをその守りに縛り付けることになった。

16.Bf3!

 ビショップのこの配置は平行な二つの斜筋に沿って機銃掃射のようなものすごい威力を発揮させる。

 白の主たる狙いは 17.Rxd5 exd5 18.Bxd5+ Kh8 19.Bxc6 から 20.Bxa8 で黒の戦力の大部分を削ぐことである。

16…Qc5

 クイーンが攻撃にさらされているナイトの助けに駆けつけた。他の受けでは次のようになる。

 a)16…Nde7 は 17.Bd6 Qa5 18.Bxe7 Nxe7 19.Bxa8 で白がルークを丸得する。

 b)16…Nce7 は 17.c4 Nb4 18.Rxb4 Qxb4 19.Bxa8 で白が駒得する。

 c)16…Nxf4 は 17.Bxc6 Rb8 18.exf4 で白が駒得する。

 d)16…Qxc3 は 17.Qxc3 Nxc3 18.Bxc6 Nxd1 19.Rxd1 Ba6 20.Bxa8 Rxa8 で白が駒得する。

 本譜の手の後黒が最悪の時期を乗り切ったように見える。しかし白にはナイトに襲いかかる巧妙な手段がある。

17.c4!

 このナイト当たりはポーンが釘付けになっていてナイトを取ることができないので無害のように見える。しかし 17.c4 の主眼は 18.Rb5 による攻撃を支えることにある。これで黒クイーンを追い払って 19.cxd5 とナイトを取ることが可能になる。

 ここから手筋が次から次へと現れる。

17…Ndb4

 クイーンに逆襲した。他の受けはすべて失敗する。

 a)17…Nf6 は 18.Bd6 Qa5 19.Bxc6 で黒の両方のルークが当たりになっている。

 b)17…Nxf4 は 18.Rb5!(軽妙な中間手)18…Qe7(18…Nb4 なら 19.Qd2 Qxc4 20.Rxb4 で白の勝ち)19.Bxc6 Qxg5 20.exf4 で黒はクイーンが当たりになっているのでルークを助ける暇がない。

 c)17…Nde7 は 18.Bd6 Qa5 で白はどちらのナイトを取っても良く黒が取り返した後交換得する。

18.Qb3

 白クイーンは当たりをかわさなければならないが、19.Bd6 の狙いはまだダモクレスの剣のように黒の頭上に垂れ下がっている。

18…e5

 この手は 19.Bd6 に対して他の具体策がないからだけでなく、利き筋に障害物を置いて恐ろしいビショップを抑える期待から指された。

19.a3!

 盤の片側で素晴らしい手筋が始まり、それに続いてずっと離れた他方ではクイーン捨てで頂点に達し窒息詰みに至る。

19…Na6

 他に唯一考えられるのは 19…exf4 だが白は 20.axb4 Qe7 21.Bxc6 Rb8 22.exf4 で駒得して勝負を決めることができる。

20.Bxc6

 黒が 20…Qxc6 と取り返した後は 21.c5+ Kh8 22.Nf7+ Kg8(22…Rxf7 なら 23.Rd8+ で詰みになる)23.Nh6+ Kh8 24.Qg8+! Rxg8 25.Nf7# で詰みになる。

20…投了

 黒は盤上で実際に手順を確認するのを待つまでもなくキングを倒して降参した。

 本局は洗練さと正確さで指された完璧な試合だった。カパブランカ自身のコメントは「この試合ではちょっとした手筋を少し指した」だった。