第3章 チェスのマスターが自分の読みを解説する(続き)

第28局

 タラシュ対ミーゼス戦は早まった攻撃をタラシュが巧みに咎めたことで名高い。タラシュは布局で手得しそれが収局に持ち込まれた。あとはクイーン翼の多数派ポーンをパスポーンに変える技法を明快に見せつけるだけだった。

中央反撃試合
白 タラシュ
黒 ミーゼス
イェーテボリ、1920年

1.e4

 100年以上前に書かれた『冬の夕べのためのチェス』という楽しい本の中でアグネルは 1.e4 が 1.d4 より優るという面白い議論を持ち出している。彼は次のように言っていた「1.d4 ではクイーンに2枡、クイーン翼ビショップに5枡が利用可能になる。しかるに 1.e4 ではクイーンに4枡、キング翼ビショップに5枡が利用可能になる。だから初手としては 1.e4 が最も望ましい手だということが分かるだろう。この手が望ましい理由がもう一つある。このポーンは盤の中央の一角を占める。e4とd4にポーンが並びポーンと駒によって支援されれば最良の戦闘態勢とみなされ全力を挙げて維持しなければならない。」

1…d5

 黒は最初の一手から中原における白の領分を根こぎにかかった。黒は主導権を得るためなら進んでいくらかの危険を冒すつもりである。しかしクイーンがポーンを取り返すことによってあまりに早く戦闘に加わるという危険性がある。また黒はポーンの形が劣ったものになるという危険性もある。

2.exd5

 この手が最も簡明で黒に楽をさせない。代わりに 2.e5 または 2.Nc3 とするのは退嬰的な手で黒は全然苦労がいらない。

2…Qxd5

 黒はクイーンで取るのを避けて 2…Nf6 と指すこともできる。しかし 3.d4 Nxd5 4.c4 Nf6 5.Nf3 Bg4 6.Be2 となって白の中原が好形で展望もはるかに白が良い。

3.Nc3

 ナイトがクイーン当たりの先手で展開した。

 黒の防御法の欠陥の一つはクイーンが敵の小駒にいじめられるが逆に困らせることができないことである。例えばクイーンは紐付きのナイトを取るぞとおどすことができない。それはクイーンとナイトの交換になってしまうからである。ナイトはクイーンが紐付きであろうとなかろうと当たりをかけ取るぞとおどすことができる。

3…Qa5

 白キングに通じる斜筋に圧力をかけるこの手は不面目な退却の 3…Qd8 よりも好ましい。しかしどちらの場合も黒は新たな駒を展開させる代わりにクイーンの動きに2手かけたことになる。

 初心者は可能ならばいつでもチェックをかけるのが好きである。ここでは次のようなことになる。3…Qe5+ 4.Be2 Bg4 5.d4 Qe6 6.Be3 Bxe2 7.Ngxe2 これで白は3駒が活動しているのに対し黒は1個である。それもその1個は悪形のクイーンである。

4.d4

 さらにまた中原を占有した。このポーンはd4を占め、e5とc5の地点を攻撃し、その上クイーン翼ビショップを解放する働きもしている。

4…e5

 そしてさらにまた黒は白の中原になぐりかかってきた。

5.Nf3!

 5.dxe5 には黒が 5…Bb4 としてくるのでこの手の方がずっと良い。

 白は狙い(6.Nxe5)と駒の展開を兼ねた手を指している。

5…Bb4

 黒はポーンを守らずに釘付けのナイトへの攻撃を強めた。5…exd4 と取るのは 6.Qxd4 で白の展開を速めるだけなので黒は好まなかった。

6.Bd2

 チェスはとても簡単なこともある。白は三つ目の駒を戦いに投入し同時にナイトに対する重圧を緩和した。

 一方では白は 7.Nxe5 を狙っていて黒はそれを 6…Nc6 で防ぐことはできない。それは 7.d5 Nd4 8.Nxe5 で白がポーンを得する。黒はどのように白の狙いに対処するのだろうか。

6…Bg4

 解答はもう一つの釘付けである。明らかに黒はありきたりの防御には興味がない。その意味では通常の展開に興味がないと言える。黒は駒を端から急いで出して戦わせたがっている。もしこのような戦略が棋理に合っているならば展開の原則はすべてどうなってしまうのであろうか。マスターの用いるそういった金言は彼の最大の武器である。

 これまで黒は次のような行為によって適正な展開を支配する慣例を破ってきた。

 a)黒はあまりにも早くクイーンを戦いに投入した。

 b)黒は序盤で同じ駒を2度動かした。

 c)黒はナイトよりも先にビショップを展開した。

 d)黒は自分の展開を完了する前に攻撃を始めた。

 問題はこのようなことをして黒は無事に済むのだろうかということである。

7.Be2

 白は展開を続ける。別の駒を出してキング翼ナイトに対する釘付けをはずした。8.Nxe5 の狙いがもっと強烈になった。

7…exd4

 黒は白が優勢の局面になるこのポーン取りを指さざるをえない。しかし黒は他に何ができるだろうか。eポーンを 7…Nc6 で守れば 8.a3 で具合が悪い。例えば 8…Bd6 と引くと 9.b4 Qb6 10.Na4 でクイーンが取られる。また 8…Bxc3 なら 9.Bxc3 Qd5 10.dxe5 で白がポーン得になる。

8.Nxd4

 このポーン取り返しでg4のビショップが当たりになる。

8…Qe5

 黒はe2のビショップを釘付けにし、浮いているd4のナイトを当たりにした。黒が 8…Bxe2 と指さなかったのは 9.Qxe2+ で白がまた手得するからである。

9.Ncb5!

 急に白が攻撃的になった。この手で浮いているナイトを守り、b4のビショップを当たりにし、10.Nxc7+ Qxc7 11.Bxg4 でポーン得を狙っている。これらはすべてもっと駒交換することに向けられていて、そうなれば展開が速まりもっと白が手得する。

9…Bxe2

 黒は一連の駒交換を強いられ、これまで展開した駒がすべて盤上から消えることになる。

10.Qxe2

 この取り返しで黒のクイーンが釘付けにされクイーン交換が避けられなくなった。

10…Bxd2+

 ビショップもまた盤上から消えなければならない。代わりに 10…Qxe2+ は 11.Kxe2 Bd6(cポーンを守るため)12.Nxd6+ cxd6 13.Nf5 で白のポーン得になる。

11.Kxd2

 この取り返しは白を利する。それは収局に向けてキングが中央に近づき、ルークの展開のために最後の障害が取り除かれるからである。これでルークは中央の重要な空き列に行くことができる。キングはクイーンが盤上から消えれば危険にさらされない。それに黒はクイーンの消えるのを防ぐ手段がない。

11…Qxe2+

 この交換を遅らせるのは危険である。白には 12.Nxc7+ でルークを取る狙いがある。

12.Kxe2

 白はもちろんキングで取った。中央のナイトは動かしたくないのである。

 タラシュ自身もここでは白が勝勢であると考えていた。白はキングで1手、それぞれのナイトで2手ずつ、全部で5手得である。

12…Na6

 このナイトは愚形だがcポーンを守りクイーン翼キャッスリングを容易にしている。代わりに 12…Kd8 は黒のクイーン翼ルークが出て来るのに苦労する。

13.Rhe1!

 これは黒のキング翼の展開を防ぐ上で非常に効果的である。もし黒が 13…Ne7 で展開を図れば 14.Kf3 でそのナイトに釘付けがかかりキングがその守りに縛り付けられる。また 13…Nf6 なら 14.Kf3+ Kf8 で咎められ黒のキング翼ルークがずっと閉じ込められる。

13…O-O-O

 黒キングは原位置に留まり白のルークによっていじめられるのを避けて逃亡した(と同時にルークを動員した)。果たして黒は困難をなんとか切り抜けたのであろうか。

14.Nxa7+!

 これは驚きの手筋である。しかし手筋というものは常に優勢な局面を確保した側に現れるものである。手筋は偶然に現れるものではなく、秩序だった組織的な指し回しの論理的な帰結である。

 一見するとこのポーン取りは無筋のように思われる。なぜならすぐに両方のナイトが当たりになり、その一つは明らかに取られる運命である。

14…Kb8

 キングが一つのナイトを当たりにしルークがもう一方のナイトを当たりにしている。ナイトはどのようにして逃げるのだろうか。もし 15.Nab5 なら 15…c6 で駒が取られ、15.Ndb5 なら 15…c6 でやはり同じである。お互いを守り合っている二つのナイトは一方をポーンで攻められるとお手上げである。

15.Nac6+!

 これが要点である。白は2ナイトの代わりにルークと2ポーンを得る。これは公平な交換ではない。しかしいずれ分かるように考慮すべきことは戦力以外にもあるのである。

15…bxc6

 黒は取るしかない。代わりに 15…Kc8 は1ナイトの代わりにルークとポーンを取られてしまう。

16.Nxc6+

 これは一連の手筋の続きである。

16…Kc8

 ナイトをとるためにキングをこう寄らなければならない。

17.Nxd8

 黒の最も危険な駒を取り除いた。このナイトが取られた後は白の残る駒は2個で黒は3個である。しかし白の二つの駒は活動的なルークで、盤上を動き回る。一方黒の駒は、二つが隅に取り残され残りの一つは盤端にへばりついている。

17…Kxd8

 黒はクイーン翼で白の狙いをかわしながらキング翼でなお駒を動員する仕事がある。クイーン翼でポーンの数は白の3対1である。そしてポーン交換の後は2対0になる。

 黒はクイーン翼で2個の連結パスポーンの前進に直面しなければならないかもしれない。

18.Rad1+

 白はさらに手得を重ねた。白ルークがチェックで素通し列を制し黒キングが砲火をかわすために1手かけなければならない。

18…Ke8

 18…Kc8 なら 19.Kf3(狙いは 20.Re8+ Kb7 21.Rdd8 で駒得)19…Nf6 20.Re7 Rf8 で、白は 21.g4 でキング翼での攻撃を行なうこともできるし、21.a3 から 22.b4 でクイーン翼でポーン横隊を行進させることもできる。

19.Kd3+

 キングが黒の乱れたクイーン翼に向かった。黒の防御は難しい。

19…Ne7

 黒はしぶしぶといった感じでやっとキング翼ナイトを展開した。しかし他の手では負けてしまう。19…Kf8 は 20.Kc4(即詰みの狙いがある)20…g6 21.Rd8+ Kg7 22.Kb5 でナイトが取られる。また 19…Kd8 は 20.Kc4+ Kc8 21.Re8+ Kb7 22.Rdd8 でg8のナイトが落ちる。

20.Kc4

 キングがルークの通り道を空けクイーン翼ポーンの支援の用意をした。

20…h5

 変なルークの展開方法だが他にどんなやり方でルークを隅から出すことができるだろうか。

 黒は 21.Kb5 による侵入を 21…Rh6 から 22…Rb6+ で撃退する用意をした。

21.Rd3

 そこで白はこの方針を断念し、e列にルークを重ねて釘付けのナイトを取る意図を明らかにした。

21…Nb8

 ナイトがc6に行って仲間を助けるために引き下がった。

22.Rde3

 ルークが圧力を倍増させてナイトを取る構えを見せた。

22…Nbc6

 釘付けのナイトを助けるにはこれしかない。

23.b4

 白は守っているナイトを突っついて追い払いもう一つのナイトを取る用意をした。

23…f6

 黒はこれでc6のナイトに新たな居場所を用意した。これで 24.b5 には 24…Ne5+ でルークの利きをさえぎることができる。その後このナイトがe5の地点を追われたらg6に下がってe7のナイトを守ることができる。

24.f4!

 これでナイトをe5の地点に来れなくし 25.b5 の狙いを復活させた。

 局面は黒の負けのように見える。しかしミーゼスは巧みに釘付けとその恐怖から逃れただけでなく誰もがはまるような巧妙なわなを仕掛けた。

24…Kf7!

 それでも白が駒得をしようとすれば次のようにはまる。25.b5 Na5+ 26.Kb4 Nd5+27.Kxa5 Ra8# これで頓死してしまう。

25.a4

 白はこの落とし穴を避け、すべての収局を支配する次のような簡明な戦略を推し進めた。

 それはパスポーンを突き進めることである。

25…Rb8

 一時的に白の二つのポーンの進軍を止めた。白は 26.a5 とは指せない。それは26…Rxb4+ でポーンを2個取られてしまう。また 26.b5 は 26…Na5+ 27.Kc5(27.Kb4 は 27…Nd5+ で頓死の筋に入るのでだめである)27…Nb7+ 28.Kc4(b4やd4に行くのは黒のもう一つのナイトにチェックされて交換損になる)28…Na5+ となり、キングは退却するかチェックの千日手を許すしかなく何も進展が図れない。

26.c3

 これは簡明で強硬な手である。白はbポーンを守りaポーンを突き進める用意をした。

26…Rd8

 27.a5 を止める手段はないので黒は素通し列で反撃しようとした。

27.Rd3!

 この手は強引だが必須の手である。白はこの列でルークを対抗させなければならない。黒はルークを交換するか、さもなくば自分のルークをどかして白にd列を完全に明け渡さなければならない。

 初心者が痛い目にあって学ぶことの一つは列であろうと斜筋であろうと枡であろうと陣地のどの一部もその支配をめぐって争わなければならないということである。重要な地点や領域の所有を確保するためにはしばしば駒の交換を申し出ることが必要となる。そのような申し出は退屈な局面になることを恐れたりそのような戦略がスポーツマンらしくないとして避けるようなことがあってはならない。戦力的に優勢な選手が華麗に勝ちたいために煮え切らない態度をとったり退屈でスポーツマンらしくないとして交換を避けるのは相手を拷問にかけていることになる。勝ちは最も速く効果的な方法で達成しなければならない。

27…Rxd3

 この列を明け渡しても黒のルークは他の列で何の展望も開けない。そこで黒は交換した。

28.Kxd3

 白は黒の2駒に対し1駒だけとなってしまった。しかし白の単騎のルークはその大きな活動性で黒の2ナイトを上回っている。黒のナイトは安全を確保するためにお互いに絶えず連絡を保っていなければならない。

28…Ke8

 白のパスポーンの前に立ちはだかるためにキングがクイーン翼に急いだ。

29.a5

 このポーンが1枡動くたびに黒の危険度が増す。このポーンを見張るために駒が張り付けられるので黒は反撃のことなど考えている暇がない。

29…Kd7

 黒はaポーンにさらに近づき、この間にナイトを釘付けからはずした。

30.a6

 これでキングの小旅行を中止させた。30…Kc8 は 31.b5 で罰せられ黒はナイトの一つを失わなければならない。二つのナイトをお互いの守りに支え合わせるのは理想的な配置ではないことにあらためて注意されたい。

30…Nd5

 このナイトはここを経由してクイーン翼へ行こうとしている。そして白の浮いているfポーン当たりにもなっている。

31.Ra1!

 狙いをつぶす一つの方法はそれを無視してもっと急を要する狙いで対抗することである。白の狙いは 32.a7 で、黒はナイトを切らなければならなくなる。

31…Na7

 このポーンはせき止めなければならない。31…Nxf4+ は 32.Ke4 Nxg2 33.a7 Nxa7 34.Rxa7 となって白の勝ちは易しい。

32.g3

 クイーン翼で活動を続ける前にキング翼のポーンの態勢を安定させた。

32…c6

 この手には白のbポーンの前進をもっと難しくさせることとキングのためにc7の地点を空けることの二つの目的がある。

33.Ra4!

 「この収局では白のどの1手も感嘆符を付けるのに値する。」この試合の黒側を持って指したミーゼスは熱狂的に叫んだ。

 白の着想はbポーンを守っておいてから、中央に頑張っている黒のナイトを 34.c4 で追い出せるようにすることである。

33…Nb6

 ナイトはそれを待つことなくルークに襲いかかった。

34.Ra5

 ルークは場所を変えたが黒のhポーン当たりになっているので手損にはなっていない。

34…g6

 hポーンを救うにはこれしかない。代わりに黒はナイトをd5にさしはさむこともできるが、白は 35.Kc4 から 36.Kb3 とし(bポーンを守るため)37.c4 でナイトをどかせて浮いているhポーンを取ることができる。

35.c4

 永久にナイトがd5に来れないようにした。

35…Nbc8

 黒は良い手がなくなってきた。36.c5+ があるので 35…Kd6 とは指せない。また 35…f5 でキング翼を締めるのも後で白にe5から侵入されるのでだめである。

36.Ra1

 これはちょっと意外な手である。白はこれ以上のクイーン翼ポーンの捌きを後回しにし、キングとルークをもっと攻撃的な位置につけようとしている。キングはd4からc5に行き、ルークは素通しのe列に回り最終的には6段目か7段目に侵入する。そうなると黒はキング翼のポーンに対する白ルークの狙いを撃退しなければならないだけでなく、クイーン翼での白ポーンの危険な前進を食い止めなくてはならなくなる。

36…Nd6

 黒はじっと受けに回るしかない。

37.Kd4

 この間に白はキングをc5の地点に近づけた。

37…Ndc8

 黒が 37…Kc7 と指して 38.Kc5 に対し 38…Ne4+ と応じる用意をすれば白は 38.Re1(致命的なe7でのチェックの狙い)38…Kd7 39.Kc5 Ndc8 40.b5 で侵入を果たす。

38.Kc5

 キングが絶好の地点に位置した。白は 39.b5 から 40.b6 ですぐに終わらせる用意が整った。

38…Kc7

 もちろん 38…Nd6 は 39.Rd1 でナイトを釘付けにされるのでだめである。その後のきれいな手順は 39…Nac8 40.Rxd6+ Nxd6 41.a7 で、このポーンは止められない。

39.Re1

 ルークがe6またはe8に侵入してキング翼のポーンを荒らす構えである。

39…Nb6

 代わりに 39…Kd7(ルークをe6とe8に来させないため)なら 40.b5 cxb5 41.cxb5 Kc7 42.Re6 となって白は好きなように勝つことができる。

40.Re7+

 ようやくルークが敵陣に突入した。

40…Nd7+

 もちろん 40…Kb8 はだめで、白は 41.Rb7+ で片方または両方のナイトを取ってしまう。しかし本譜のチェックの挿入手は白をまだてこずらせるように見える。例えば 41.Kd4 なら 41…c5+ 42.bxc5 Nc6+ でルークがタダ取りされてしまう。

41.Rxd7+!

 鮮やかな決め手である。41…Kxd7 と取っても 42.b5 cxb5 43.cxb5 Nc8(43…Kc7 なら 44.b6+)44.b6 から 45.a7 で何の紛れる余地もない。

41…投了

 布局での手得からもたらされた有利を活用する技法のみごとな実例だった。