第3章 チェスのマスターが自分の読みを解説する(続き)

第30局

 ここからの3局の主題は「パスポーンを作りそれを突き進めて勝て」である。まずカパブランカ対ビリェガス戦ではクイーンを犠牲にする場面が見られる。ほとんどの試合ではそのような犠牲は手筋の極致だが本局では陣形上の優位を確立する大戦略の前には影が薄い。その大戦略はd列の支配に行き着き、続いてクイーン翼で3対2の多数派ポーンの形成に結びついた。巧妙な指し回しでこれから単独のパスポーンができ、厳重にせき止められたにもかかわらず再びクイーンの犠牲で扉が大きく開かれた。

クイーン翼ギャンビット拒否
白 カパブランカ
黒 ビリェガス
ブエノスアイレス、1914年

1.d4

 本局ではチェスの技法は次のような単純な手法に帰せられる。

 「パスポーンを作りそれを突き進めて勝て」

 白は初手で中原に地歩を占め2個の駒を自由にした。

1…d5

 この手は恐らく黒の最強の応手である。圧力を対等にし白が 2.e4 で中原を独占するのを防いでいる。

2.Nf3

 ナイトが中原に向かって跳ねポーンがe5の地点にかけている圧力を強めた。このナイトはf3の地点で最も良く働いていて周囲の8地点に利いている。

2…Nf6

 黒は同じやり方でキング翼ナイトを最も効果的な地点に展開した。優れた攻撃能力を別にしてもナイトはその場にいながら役に立っている。キングの護衛では特にキャッスリングの後では他の駒にできない守りを務めている。

3.e3

 これは最も積極的な布陣ではないが、白は最初から攻撃的である必要はない。この布局自体が非常に強力なので白は無駄なく最適な地点を占めるように駒を展開するだけで素晴らしい態勢を築くことができる。その手法は次のように単純そのものである。

 どの駒も働く地点につけ、展開が完了するまで同じ駒を2度動かすな。

 3.e3 によって一方のビショップが自由になるが他方のビショップが閉じ込められるということはたいして重要でない。なぜならクイーン翼ビショップはb2の地点から参戦できるからである。白は具体的な意図を明らかにしていない。コーレ攻撃を指すかもしれないし単にビショップをd3に展開して早いキング翼キャッスリングをするつもりかもしれない。

3…c6

 黒は 4.c4 でdポーンが攻撃されることを見越してdポーンを支えた。黒は 3…e6 で自分のクイーン翼ビショップを閉じ込めて支えるよりも本譜の手の方を好んだ。

 しかしビショップを自由にしたいならどうして黒はすぐにf5の地点に出さないのだろうか。そこなら白のビショップがd3に来た時に対峙する用意ができている。そうなれば白の攻撃的なビショップとの交換がほぼ不可避でコーレシステムから攻撃の牙を抜くことになる。

 他に考えられる手はすぐにポーンをc5に突くことで、白の中原に襲いかかりc列を開けて自分の大駒が利用できるようにすることだった。それなのになぜ序盤で 3…c6 というように不必要なポーンを突くのだろうか。どうして何も狙われていないのに守りに手を無駄に費やすのだろうか。

4.Bd3

 これは落ち着いた力強い展開である。このビショップは二つの格好の斜筋をにらみどちらにでも動く用意をしている。その一方でキング翼がキャッスリングのために空いた。

4…Bg4

 このビショップの行き場所はここくらいである。このビショップの最良の位置はf5だが白の直前の手によってそれが不可能になっている。

5.c4!

 これは機敏な手である。白は黒の中原に挑みかかり、自分の大駒のためにc列を開けた。クイーンのために空けられた斜筋にはビショップの出撃によって弱体化した黒のクイーン翼を 6.Qb3 によって襲撃する展望がある。

5…e6

 黒のキング翼ビショップに出口が与えられ中原のポーンもさらに支援された。

6.Nbd2

 白はキング翼ナイトをこの小駒で守りクイーンの務めを軽減した。このナイトの展開方法はc3に展開するよりも好ましい。c3ではc列でのクイーンやルークの将来の活動の邪魔になるかもしれない。

 6.Qb3 の出撃はすぐには何の有利ももたらさない。黒は 6…Qb6 と応じクイーン交換になるか白クイーンが引き下がることになる。

6…Nbd7

 黒のナイトにとってもこれは手本となる展開である。このナイトはd7の地点でキング翼ナイトと協力して働き、…c5 または …e5 によって白の中原をいつかは攻撃するのを手助けする。この捌きはどちらにせよ黒がこの布局で達成しようとしなければならない目標である。

7.O-O

 キングが安全地帯に急いで去りルークが隠れ家から出てきた。

7…Be7

 この手は駒を展開しキャッスリングを可能にしているがかなり積極性に欠けている。もっと元気のよい手段は 7…e5 で中原で何らかの発言権を得ようとするものだった。

8.Qc2!

 そこで白はそのようなもくろみを完全にやめさせた。それでも黒が 8…e5 と突けば白のナイトが釘付けになっていないのでそのポーンを取ることができ黒のポーン損になる。

 クイーンのc2への展開は地味だが序盤の段階ではクイーンはめったに3段目または4段目を越えて出て行かない方が良い。大切なことはクイーンが最下段を離れて活動することである。

8…Bh5

 黒はビショップをg6に引き白の攻撃的なキング翼ビショップと交換する用意をした。この手の代わりにキャッスリングするのは 9.Ne5 Bh5(9…Nxe5 は 10.dxe5 Nd7 11.Bxh7+ で白のポーン得になる)10.f4 でナイトが中央の強力な位置を占め白に素晴らしい攻撃の展望が開ける。

9.b3

 駒の出口を開けるポーン突きは常に正しい手である。この手はクイーン翼ビショップの展開する地点を用意した。

9…Bg6

 黒はビショップの交換を行なうための手を続けた。

10.Bb2

 ビショップが遠くから中原の重要な地点のe5に対する白の圧力を強めた。この地点を支配していれば黒が …e5 で捌くのが難しくなる。

10…Bxd3

 この交換を急ぐことはない。どうして白のように冷静に駒を展開する作業を続けないのだろうか。

11.Qxd3

 この取り返しの後白は盤上を席巻する。白はいろいろな指し方が可能である。

 a)e4 突きでつっかけて攻撃のために筋を開ける。

 b)ナイトをe5の拠点に据える。

 c)c5 突きから封じ込めを行なう。

11…O-O

 黒は白の狙いのすべてに対処することはできない。それでキングを安全な隠れ家に送った。

12.Rae1

 白は具体的な行動をとる前に別の駒を戦いに加えた。ルークがe列にいればeポーン突きに迫力が加わる。

 白は展開が完了しないうちは行動を開始しない。

12…Qc7

 黒は別の駒を動員し 13…c5 による反撃に期待した。クイーンの展開によってルークもお互いに連絡できるようになった。

13.e4!

 白は攻撃の筋を開けた。理論によればこれは展開に優る側に有利に作用する。

 白は 13.c5 を見送った。それに対する応手は 13…e5 14.dxe5 Nxc5 である。13.Ne5 はもう有望でない。即ち 13…Nxe5 14.dxe5 Nd7 15.f4 f6 で黒に楽をさせてしまう。

13…dxe4

 さもないと黒はずっと e5 や exd5 を恐れながら暮らさなければならない。白はどちらの手も都合の良い時に指すことができる。

14.Nxe4

 この取り返しの後白の中原は威容を誇っている。

14…Nxe4

 黒はごちゃごちゃした陣形を解放するために駒を交換した。

15.Rxe4!

 この手は自然な受けの 15…Nf6 を予期したものである。この手に対して白は 16.Rh4 と応じる。その後の作戦は詰みを防いでいる黒のナイトを除去することである。それは 17.d5 から 18.Bxf6 か 17.Ne5 から 18.Ng4 で実現できる。ナイトの交換または立ち退きの後の Qxh7# を防ぐために黒は …g6 又は …h6 と突かなければならなくなる。どちらにしてもポーンの形に隙ができキングの防御が弱体化する。

15…Bf6

 この手は 16.Rh4 を防ぎビショップの利きを良くし白の中原に圧力をかけている。それに 16…Nc5 17.dxc5 Bxb2 で黒の有利な単純化になる小さな狙いも持っている。

16.Qe3

 その小さな陰謀を阻止した。

16…c5

 これは確かに魅力的な手である。黒の意図は 17…cxd4 で、dポーンが釘付けになっているので白はこのポーン取りを避けることができない。白の目障りな中原ポーンがなくなれば黒のナイトがc5やe5に行けるようになり、クイーンとルークが素通しのc列から反撃することもできる。

17.Ne5

 ナイトが橋頭堡に陣取った。この手は無害に見える。何も狙っていないし黒のもくろみに何の邪魔にもならない。

17…cxd4

 この手は 18.Bxd4 Bxe5 19.Bxe5 Nxe5 20.Rxe5 Rfd8 で素通しのd列の支配により黒の見通しが断然良くなることを期待した。

18.Nxd7!

 これは破天荒な構想である。それは白がクイーン捨ての手筋を指したということではなく、クイーンの返上が瑣末なことに過ぎないという状況のことである。クイーン捨ては試合全体の戦略に比べれば付随的なことに過ぎない。この試合は大局観に基づいて指されていて、そのとおりに勝ちになる。そこではどんな手筋も全体作戦に沿って現れてくる。その全体作戦とはパスポーンを作り機会あるごとに突き進めクイーンに昇格させることである。

18…Qxd7

 黒がクイーン捨てを受け入れて 18…dxe3 と取れば白は次のような手筋を繰り出す。19.Nxf6+ Kh8(19…gxf6 は 20.Rg4+ Kh8 21.Bxf6#)20.Rh4(21.Rxh7# の狙い)20…h6 21.Rxh6+! gxh6 22.Nd5+ Kg8 23.Nxc7 これでルークと2駒の交換となり白が簡単に勝つ。

19.Bxd4

 ビショップがポーンを取り返し2方向に利きを及ぼしている。一方はaポーンまで利いていて、他方は 20.Bxf6 gxf6 21.Rg4+ Kh6 22.Qh6 Rg8 23.Qxf6+ からの詰みを狙っている。

19…Bxd4

 白のビショップは消さなければならない。

20.Rxd4

 ビショップを取り返した手がクイーン当たりの先手になっている。

20…Qc7

 ここが最善の逃げ場所で、クイーンの動きが一番良い。

21.Rfd1

 ここで白のクイーン捨ての意味を良く理解することができる。クイーン捨ては奇襲戦術で勝とうということではなく、陣形的に優位を得る手段として用いられた手筋だった。

 d列の白の二重ルークはその列を完全に支配している。そしてクイーン翼での3対2の多数派ポーンからはc列でパスポーンが生まれる可能性がある。

21…Rfd8

 黒は白が7段目にルークを据えるかd列に駒を三重に重ねる前にルークを対抗させなければならない。

22.b4!

 これからクイーン翼でのポーンの進撃が始まる。カパブランカは 22.Rxd8+ Rxd8 23.Rxd8+ Qxd8 24.Qxa7 Qd1# のような見え透いた罠には一瞥もくれない。

22…Rxd4

 この交換はほとんど必然である。さもないとこのルークを守るためにクイーンともう一つのルークが縛り付けられる。

23.Qxd4

 当然ながら白は素通し列に2個の大駒を維持するためにクイーンで取った。

23…b6

 黒はルークを使うためにこの手か 23…a6 と突く手を指さなければならない。もちろん素通し列を争うために 23…Rd8 と指すことは白に即座にルークを取られて詰みになるのでできない。

24.g3

 これはキングが最下段での不意のチェックから逃げるための安全策である。用心しないと致命的になることがよくある。

24…Rc8

 cポーンを2駒で当たりにした。

25.Rc1

 cポーンを救うために白はルークをd列からそらさなければならない。しかしこれでルークがポーン(戴冠の候補)の背後に回り、このポーンがc列でどんなに先まで進んでもそれを守れる位置についている。

25…Rd8

 黒の目的は白クイーンを追い払いこのルークでd列を自分が支配することである。

26.Qe3

 これは抜け目のない手である。ルークに紐を付け、黒ルークがd2に来るのを防ぎ、cポーンが次に立ち寄る戦略的要衝のc5を見張っている。

26…Kf8

 キングが戦場に近寄った。駒が総交換になった場合はキングがcポーンを抑える用意をしている。

27.c5

 ポーンは機会あるごとに前進する。

27…bxc5

 白が 28.bxc5 と取り返すことを期待している。その場合黒は 28…Qc6 でしっかりこのポーンをせき止める。

28.Qe4!

 これは非常に気の利いた手である。黒ポーンは釘付けになっていて取られるのを避けることができないので白はすぐに取り返す必要はない。そしてこのクイーンの動きで黒の意図した 28…Qc6 によるせき止めを防ぎ 29.bxc5 から 30.c6 を準備している。

28…Rd5

 ルークが急いでcポーンの助けに向かった。

 ここで白はポーン狩りをしたくなるところである。29.Qxh7 の後 30.Qh8+ から 31.Qxg7 で2個のポーンを取りh列にパスポーンを作ることができる。しかしこのような気まぐれな指し方は白の綿密で能率的な指し回しとは調和しない。そしてカパブランカのような性格とは全く相いれない。

29.bxc5

 ついにパスポーンができた。

29…g6

 29…Rxc5 と取り返すことはできない。白は無作法なルークを 30.Qb4 で罰し、釘付けにより取ってしまう。

30.c6

 パスポーンは突き進めなければならない。このポーンが1枡進むたびに白ルークの動ける範囲が広がり黒駒の自由が制限されていく。

30…Kg7

 黒はキングを中央に近づけるのは自殺行為になるかもしれないと気付いた。即ち 30…Ke7 31.Qh4+ Kd6 32.Qb4+ Ke5 なら 33.Qf4# で詰みになる。

31.a4!

 これは素晴らしい準備の手である。もし白がすぐに 31.Qb4 から 32.Qb7 と指すと(せき止めている駒をどかすため)黒はクイーンを交換し 33…Rb5 とポーンの背後に回って止めることができる。しかし白のaポーンがa4にあると黒はルークをb5に回らせることができない。

31…Rd6

 黒はポーンをがんじがらめにした。このポーンは進めないし、クイーンをb7に回すという白の意図していた策略も実現不可能である。黒は 32.Qb4 に対して単に 32…Rxc6 と取るまでである。しかし1個のポーンが黒のクイーンとルークを縛り付けておくことができるということはパスポーンの威力のおかげである。

32.Qe5+!

 ポーンの周りの厳重な警戒にもかかわらず白は一撃でせき止めをはずしてしまう。

32…f6

 黒がどのようにチェックから逃れても白の次の手筋を止めることはできない。

33.Qxd6!

 守りの一つを撃破した。

33…Qxd6

 そして取り返しのためにもう一つが誘い出された。

34.c7!

 これで白の勝ちである。次の手でポーンがクイーンに昇格し白がルークの丸得になる。