第3章 チェスのマスターが自分の読みを解説する(続き)

第31局

 ハバシ対カパブランカ戦はほんのわずかな有利を搾り出す大局観指法の素晴らしい見本である。カパブランカはクイーン翼で多数派ポーンを確保しそれからパスポーンを作る作業に着手する。そのために彼は素通しのc列を支配し敵の白枡の弱点を利用した。後はパスポーンを無事に昇格枡に連れて行くだけだった。

クイーンポーン試合(ニムゾインディアン防御)
白 ハバシ
黒 カパブランカ
ブダペスト、1929年

1.d4

 中原を十分に獲得する一つの方法はそこを占拠することである。

 白はそのために盤の中央にポーンを据えた。このポーンはd4の1枡を占めe5とc5の2枡を配下に収めた。

1…Nf6

 この手は 1…d5 よりも融通性がある。黒は中原をポーンで占拠する代わりに駒を展開して中原ににらみを利かせた。このナイトはd5とe4に利いていて、白が 2.e4 でさらに勢力を拡張するのを防いでいる。

2.c4

 これはクイーンポーン布局における重要な解放の手である。この手は中原の枡のd5を攻撃し、c列をルークの格好の居場所とし(この列は後で素通しになる可能性が高いため)、クイーンをクイーン翼に出られるようにしている。

2…e6

 すぐに 2…d5 と突くのはだめである。白は 3.cxd5 Qxd5(3…Nxd5 は 4.e4 Nf6 5.Nc3 で白が中原を本来以上に獲得してしまう)4.Nc3 でクイーン当たりのために白が手得する。

 2…e6 により黒は後で …d5 で中原を占拠する際にポーンで支援する用意をした。そしてとりあえずはキング翼ビショップを自由にした。

3.Nc3

 この手はキング翼ナイトを展開するよりも厳しい。狙いとして 4.e4 突きを助けていて、そうなれば中原に威容を誇るポーンの並びができる。

3…Bb4

 このビショップはナイトを締め上げていて、釘付けにより攻撃と防御の能力を奪っている。だからもし白が不注意に 4.e4 と突けば黒はすぐにそのポーンを召し上げることができる。

4.Qc2

 この手にはいくつかの目的がある。

 a)一般的にc2はこの布局におけるクイーンの最適の地点である。

 b)このクイーンはナイトを守っている。黒が 4…Bxc3+ と取ってくればクイーンで取り返してポーンの形を乱さないで済む。

 c)このクイーンはc列に圧力をかけている。その効果はc列が素通しになればいっそう明らかとなってくる。

 d)このクイーンはe4の地点に利いているので e4 と突く狙いが復活した。

4…d5

 黒はe4の地点の支配を白からもぎ取りeポーンが2枡進む野心を抑止している。

5.Nf3

 この手は落ち着いた手だが落ち着きすぎだろう。キング翼ナイトが地面から離れたがその間隙を縫って黒が主導権を握る機会を得た。

5…c5!

 ルーベン・ファインは次のように言っている。「どのクイーンポーン布局でも黒が無事に …d5 及び …c5 と突ければ形勢が互角になる。」

 黒が 5…c5 と突いた狙いは白のポーン中原を破壊すること、あるいは重要な区域で最低限争点を維持することである。余得としてクイーン翼の駒の動く場所がわずかながら広がった。

6.cxd5

 これは中原の形をはっきりさせようという考えである。cポーンが無くなったことによりその列でのクイーンの圧力を増すことにも役立っている。

6…Qxd5

 この手は 6…exd5 よりも優る。6…exd5 には 7.Bg5 とかかられナイトに対する釘付けがうるさい。中央のd5の地点のクイーンは強力で、白の小駒で脅かされる心配が全然ない。

7.a3

 このいまいましいビショップはもうたくさんである。

7…Bxc3+

 黒はビショップを切らなければならない。代わりに 7…Ba5 と引くのは 8.b4(9.Nxd5 の狙い)8…cxb4 9.Nxd5 b3+ 10.Bd2 bxc2 11.Nxf6+ gxf6 12.Bxa5 で白の駒得になる。

8.bxc3

 代わりにクイーンで取るのは 8…Ne4 がクイーン当たりの先手となる。そうなれば白が e4 と突く狙いはさらに遠のいてしまう。

 ナイトとビショップに対する白の双ビショップは理論的には有利だが、その代償として黒のクイーン翼のポーンの形ははっきり優っている。

8…Nc6

 このナイトは狙いを持って展開した。白のdポーンは3駒で当たりにされているので白の応手は制限を受けている。

9.e3

 クイーン翼ビショップを閉じ込めるがこれが一番ましな手である。

 代わりに 9.dxc5 は 9…Qxc5 で白に2個の弱い孤立ポーンが残される。また 9.c4 は 9…Nxd4 10.Qa4+(10.cxd5 は 10…Nxc2+ で黒がルークも取れる)10…Qd7 で黒のポーン得になる。

9…O-O

 キングが安全な避難所に行きルークが登場してきた。

10.Be2

 ビショップが慎重に展開した。もっと積極的な指し方は 10.c4 で、中原からクイーンをどかして 11.Bb2 とすればどちらも指せる分かれである。

10…cxd4

 これは機敏なポーン交換である。局面を流動的に保ち、白がどのように取り返しても黒が少し優勢になる。

11.cxd4

 もちろん白は 11.Nxd4 とは取らない。それは 11…Qxg2 12.Bf3 Nxd4 でひどいことになる。本譜の手で白は中央に向かって取るという原則を忠実に守り、c列を空けることによってクイーンの活動の範囲を広げた。それでもこの場合は 11.exd4 と取ってクイーン翼ビショップを働かせるようにする方が良い方針だっただろう。

11…b6

 ビショップをb7に展開する用意をした。ビショップはそこから盤上で最長の斜筋をにらむことになる。

 黒の有利な点は主としてクイーン翼でポーンが2対1になっていることにある。これはポーンが交換になれば1対0になる。c列はルークが支配することができる。このルークは白クイーンを追い払いc列を支配し続ける。

12.Nd2

 この長斜筋は白自身も欲しがっている。そこで白はビショップのためにf3の地点を空けた。カパブランカを 12…Qxg2 という子供だましの罠で引っ掛けることはほとんど期待していない。そうきてくれれば 13.Bf3 で白が駒得する。このようなことは現実には起こらないものである。

12…Bb7

 ここは利き筋を2駒がさえぎっていてもビショップにとって絶好の地点である。一方c8の地点は別の居住者のルークが占める用意ができた。

13.Bf3

 ここはビショップにとって好所である。しかし何と手数がかかったことだろう。ナイトが退却しなければならなかったし白のクイーン翼の駒の展開も無視されている。

13…Qd7

 このクイーンは白の2駒によって当たりにされているナイトに紐を付けている。

14.O-O

 eポーンを突くのは時期尚早である。14.e4 は 14…Nxd4 でポーンを取られるし、14.Bxc6 は 14…Bxc6 15.e4 Qxd4 16.Qxc6 Qxa1 で交換損となる。

14…Rac8

 この手は 15…Nxd4 を狙っていて白クイーンにc列から去るよう促している。

15.Qb1

 攻撃的な 15.Qa4 は次のように強く応じられて危険である。15…Ne5 16.Qxd7(16.Qxa7 は 16…Nxf3+ 17.Nxf3 Qc6 から 18…Ra8 でクイーンが捕まる)16…Nxf3+ 17.Nxf3 Nxd7

15…Na5!

 ビショップの交換を誘った。白が拒否すれば黒が対角斜筋を完全に支配することになる。

16.Bxb7

 16.Be2 で斜筋を譲り盤上にもっと多くの駒を残すようにした方が無事だったかもしれない。駒を交換すると局面が単純化し黒の優勢が際立ってくる。

16…Qxb7

 これで黒は敵の白枡が侵入に弱いことにつけ込む用意ができた。これらの枡は白枡上で動いていたビショップが消えたことによって弱体化した。この優位はクイーン翼における黒の多数派ポーンの優位(パスポーンができるのが普通)と相まって黒の勝ちが十分期待できる。

 ここからは勝ち試合を勝ちきる技法を目の当たりにすることになる。

17.Bb2

 ようやく白のクイーン翼が動き出した。この目的はほめられることだけれども黒の次の手を予期して 17.Qd3 と指すことが肝要だった。これで白の弱い枡が強化され当分の間敵の狙う侵入を食い止めることができる。

17…Qa6!

 これは絶妙の捌きである。このクイーンは中央の斜筋を離れ、もっと重要な斜筋に大きな圧力をかけた。

 このクイーンの狙いは堂々とe2の地点に突入し白駒の連係を困難にすることである。

18.Re1

 その黒の狙いを防いだ。代わりに 18.Rc1(c列を争うため)は18…Qe2 19.Nf3(19.Rc2 は 19…Ng4 20.Rxc8 Qxf2+ で黒の勝ち)19…Nb3 20.Rxc8 Rxc8 21.Ra2 Rc1+ で、白は詰みを逃れるためにクイーンを捨てなければならない。

18…Nd5

 さっそうとした中央志向である。しかしこれは一時的なことに過ぎない。このナイトは主戦場であるクイーン翼へ向かう途中である。

19.Ra2

 この手は次に 20.Ba1 から 21.Rc2 でルークをぶつけるか 20.Qa1 で 20…Nc3 を防ぐ意図である。

19…Rc6

 これは明らかにc列でルークを重ねる目的である。黒はナイトをc3に跳ねるのを急いでいない。まず白にナイトを中原からどかせるようにしむけたがっている。

20.e4

 これは疑問手である。一見強い手に見えるが、実際は中原のポーンがむき出しになり攻撃目標にされ易い。

20…Nc3!

 黒が健全なナイトを病的なビショップと交換させるのは不可解に思えるかもしれない。しかしこの用心はルークが敵陣に突入する前に必要である。盤上に駒が少なければ少ないほどルークが小駒の毒牙のえじきにかかることが少なくなる。

21.Bxc3

 クイーンとルークの両当たりなのでこのナイトは取らなければならない。

21…Rxc3

 この取り返しでルークがさらに深く敵陣に侵攻することができる。

22.Nf3

 白は駒の組み換えを図ろうとした。白が 22.Rc1 でc列を争おうとしても 22…Rxc1+ 23.Qxc1 Qd3 24.Qb2 Rd8 で中央のポーンを取られる。

22…Rfc8

 二重ルークが素通し列を完全に制圧した。

 理論的には黒勝ちの局面である。黒の陣形上の優勢は否定し難く、勝ちはマスターたちの好きな常套句によれば「単に技術の問題」である。楽しい状況であるが心理的な危険性もある。気持ちが緩みがちになり攻撃を緩めがちである。誤った安心感に陥り易く、その状況をマーシャルは次のように形容した。「最も難しいのは勝ち試合を勝ち切ることである。」

23.h3

 白は何よりもまずキングの逃げ場所を作った。

 黒ルークを追い払うことはできない(23.Re3 なら 23…Rc1+ でクイーンが取られる)。そこで白は態度を保留して事態の進展を待った。

23…Nc4

 これは局面を加速させる良く練られた一連の手の最初である。まず白のaポーンを三重当たりにした。

24.a4

 他の手ではこのポーンを救えない。

24…Na3

 これは軽妙な手である。このナイトはクイーンを当たりにし、それと同時にaポーンを守っているルークの利きを遮断した。

25.Qb2

 白は守りきれないポーンをあっさり諦めた。25.Qd1 でこのポーンを守ろうとしても 25…Qc4(ルーク当たり)26.Rb2 Nc2(もう一つのルークへの当たり)27.Re2 Qxa4 28.Ne1(黒の釘付けのナイトへの当たり)Qxd4! で黒の勝ちとなる。

25…Qxa4

 これは最初の具体的な利得である。ここからはチェス界の生んだ最高の天才がパスポーンをクイーンに変える技法を堪能するとよい。注意すべきはどんなに魅力的な手筋でも目的にかなわなければ用心深く忌避されるということである。そのような目的意識の強さは怖いほどである(特にそれと対面する者にとっては)。

26.Re2

 白は有効な手がなくなってきている。26.Qe2 は 26…Rc2 で駒交換がさらに進むので駄目である。釘付けのナイトを 26.Rea1 で攻撃するのは軽く 26…Qb5 と応じられナイトに巧妙に危険から逃げ出される。

26…b5

 パスポーンは突き進めなければならない。駒得するための手筋、浮きポーン集め、さらにはキングに対する攻撃など他のすべては、突き進めたポーンをクイーンに昇格させるという主題の前には背景に追いやらなければならない。

27.d5

 白は黒の気をそらそうとして何らかの反撃の可能性を得るために筋を開けた。

27…exd5

 これは最も簡明な応手である。白が取り返せば盤の中央に孤立ポーンができる。

28.exd5

 この手の見返りに白のe列のルークが完全に素通しとなった列に臨むことになった。それによる白の狙いは 29.Qxc3 Rxc3 30.Re8# である。

28…b4!

 これは明らかな手だが、それでもいくつかの素晴らしいことを果たしている。

a)クイーンの利きがe8まで通ったので白の狙いは無効になった。

b)黒には 29…Qd1+ 30.Re1 Qxd5 でポーン得の狙いがある。この時ルークがポーンで守られているので白は 31.Qxc3 とできない。

c)このポーンがナイトを守っているので黒クイーンがその役目から解放された。

d)ポーンがゴールの8段目の地点に一歩近づいた。

29.Qd2

 この手は自分のパスポーンに紐を付けるためでなくクイーンを活用させるためである。

29…b3

 この手はマンハッタン・チェスクラブの「黒のパスポーンは白のパスポーンより走るのが速い」という警句どおりである。

30.Rb2

 この手は 30.Ra1 Rc2 31.Qe3 b2 で黒が勝つ手順よりも長持ちする。

30…Rc2

 黒の指し手は非常に分かり易い。(a)パスポーンを突き進めなければならず(b)その進路がルークでせき止められているので(c)せき止めているものを取り除かなければならない。

31.Qe3

 31.Rxc2 は気が進まないのでこの手で局面を紛れさせることを期待した。

31…Rxb2

 こちらのルークを取るのが正しい。ここから勝負を決める素晴らしい手が連続する。

32.Rxb2

 白は取り返さなければならない。

32…Nc4!

 クイーンとルークの両当たりで交換得の狙いである。

33.Qc1

 ナイトを釘付けにしてルークを救った。33.Qxb3 は役に立たない。黒が単にナイトでルークを取る手がクイーンを守っている。

33…Qa3!

 ナイトへの釘付けをルークへの釘付けで切り返した。次にクイーンでルークを取る手がある。

34.Rb1

 しかしルークが釘付けをなんとか切り抜けた。黒が勝ちを逃がしたのだろうか。

34…Qxc1+!

 そんなことは全然ない。この手で白の降伏が余儀ない。 35.Rxc1 b2(ポーンは突き進めなければならない)36.Rb1 Rb8 37.Kf1 Na3(せき止めている最後の駒を追い払う)38.Rd1 b1=Q 黒はパスポーンで勝負を決めた。

35.投了