理詰めのチェス 一手一手の探求

アービング・チェルネフ

 はしがき

 あなたはチェスのマスターが一度に20人を相手に試合をしているのを見たことがあるだろうか?彼がそれぞれの盤の前で数秒立ち止まり局面を一瞥してなんの造作もなく駒を動かすその自信と容易さに羨望に近い驚きを覚えたことがなかっただろうか?

 彼は何十もの定跡とその何百もの変化を暗記しているから素早く指せるのだろうか?そのような催しでの試合は大部分が定跡書にも載っていない局面になるのだからそのようなことはほとんどあり得ない。それならば彼は毎回考えられる変化を光のような速さで片っ端から読んでいるのだろうか?それとも完全無欠な直感に従って奇天烈な局面を渡り歩いているのだろうか?もしそうなら彼は電子計算機よりも速く読むかあるいは一晩で一千回も閃きを得ていることになる。

 彼の思考はどのようになっているいるのだろうか?もし彼の思考の過程を追うことができればあるいは彼に頼んで各々の手の意味を彼に語らせることができれば答えが得られるかもしれない。

 この本では彼を説得して試合中に彼の指すどの一手の目的も彼から明らかにしてもらう。そして彼の概説するところの着想や方法や考え方そのものを詳しくたどる。彼の頭脳の働きを学ぶことによって良い手を選び悪い手を捨てるための知識-直感-を習得する。

 このような直感を身につけるために無数の定跡手順を暗記する必要もなければ公式や原則の一覧を頭に詰め込む必要もない。実際は棋理に合った原則がありそれらを適用すれば強固で理にかなった有利な局面が得られるのである。しかし読者は苦労しないで、つまり暗記でなく試合の進行に伴ってその効果を見ることによりそれらに慣れ親しんで行くことができるのである。

 試合の進行と共にその指し手の隅々を理解する喜びを増すのは(それにチェスは世界で一番面白いゲームである)マスターが新しい局面に遭遇するたびに頭に想起する数多の構想を彼が明らかにするその思考の過程を見る魅力によるものである。我々は彼を通して「大局観指法」の知識から得られる大きな利点を学ぶことになる。マスターが乱暴な手を指したり早まって愚かな攻撃をしたりしないのは彼がこの大局観指法を身につけているからである。それはことあるごとに手筋による攻撃を求める自然な衝動を抑制し駒を最も攻撃の可能性の大きい地点に配置するために助言し、急所の中原の地点を占拠したり自陣を最大限に広げたり相手を押し込め弱体化させたりするにはどうしたらよいか彼に教える。そして決定的な勝機が現れ「決め手の手筋が盤上に現れる」のを彼に保障するのも大局観指法である。マスターは手筋を捜し求めるのではない。彼は手筋が盤上に現れるのを可能にする条件を作り出すのである。

 どの試合のどの一手も簡潔な日常の言葉で説明する。手の効果をもれなく詳述したり手の意図を明らかにする必要があるならば明快で要を得た解説を行なう。手の目的を何度も繰り返すことにより基本的な概念の重要性が印象付けられるであろう。ナイトはf3又はc3が最も働きが良いことやルークは空いた筋を占めるのが良いということを繰り返し言われればそのような戦略や駒の配置は「一般に」良い指し方であるということが分かってくるであろう。そしてナイトやルークの良い配置を選ぶ時マスターと同じように「どの手を最初に見たら良いか」が分かってくるだろう。

 これは慣れることによって考えずにうわべだけの手を指すことを意味するのではない。学ぶのはいつどのように有用な知識を活用し、またいつどのように常識に従わないのかということである。子供が文法規則を学ぶのでなく聞き話すことによって言語を習得していくのと同じように容易に良い手を指すコツを習得していくのである。

 読者の並べる棋譜はどれも勇気、機知、想像力、発想が成果をあげる面白いチェスの冒険となるだろう。マスターたちが喜んで教えてくれることを感謝し吸収することによって「一手一手理詰めのチェス」を指すことを最も良く学ぶことができるのである。

アービング・チェルネフ
1957年5月1日